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イベント

スペシャルオリンピックス日本・東京のイベントをご紹介します。

「2005年SO冬季ワールドゲーム・長野」を終えて・・・

≪コーチ体験記:アスリートとコーチの絆を感じた13日間≫

  2月22日の結団式に始まり、解団式までの13日間。毎晩のコーチミーティングで翌日のスケジュール確認、準備、アスリートケアに至るまで話し合い、いつ も寝るのは1時・2時、そして5時過ぎには起床という毎日でした。アスリートをより良い状態で競技に臨ませたい、という思いで、ときに彼らの「姉」に、「友人」に、そして「母」となりながら、アスリート達の頑張りと笑顔、仲間への思いやりに触れ、笑いあり、涙ありの楽しい充実した日々となりました。

 アルペンスキーでは、4つのカテゴリーに分かれ、東京からは、ビギナー担当の福田雅純コーチと初級担当の私が参加。初級では松村君が一緒でした。大会5日目の大回転決勝は前日の予選結果に基づき、ディビジョン8で、5番目のスタート。1本目滑り終わっての結果は、なんと2位!2本の合計タイムが成績になる ので、どうかこのままキープしていって欲しい。いつも安全運転の慎重派の松村君に、スタート地点のコーチに気合をかけてもらい、いざスタート!私もゴール エリアから「こいでー!」と声を張り上げました。するとなんと、松村君がスタートからずっーとこいで、ぐんぐん滑って来るではありませんか!すごい、やったー!彼の誇らしげな笑顔。近くにいらしたお母さんと共に感激し涙しました。結果は見事銀メダル!

 一方、思うように結果が出せなかったアスリートもいました。親元を離れた共同生活の中で、世界の舞台に立った彼らは、自信をつけ、また悔しさをバネに心身共に強くなっていくことでしょう。

 そして、外国のアスリート達やボランティアの方々との交流。共に笑ったり、肩を抱き合ったり…。日本のアスリートの次にゴールしたどこかの国のアスリート が、ゴールするや否やその喜び、達成感を分かちあいに駆けつけて来て、一緒にやったね、とポーズ!言葉の壁なんか越えた素晴らしい光景にジーンときまし た。彼らは、たくさんの方に会い、いろんな経験を通して成長したことでしょう。私もアスリートと共にかけがえのない貴重な体験をさせて頂いたこと、多くの方々のサポートに感謝し、今後のSO活動に生かして生きたいと思っています。

(日本選手団アルペンスキーコーチ:川島 敦子)

           
▲がんばってまあす!松村君と川島コーチの              ▲スピードスケートの選手達(岡村君と日野君)
元気な2ショット!                        仲良く3ショット!

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≪ボランティア体験記:選手団サービス@≫

 私は3月1日から6日までの6日間、長野で開催されていたスペシャルオリンピックス冬季世界大会のボランティアの一員として携わった。私が担当したのは、カナダの選手団が宿泊していたホテルで通訳をしたり、連絡事項を伝えたりするDSDという役職である。

 私が行ってまず驚いたのは、選手が外見からでは全く知的障害を背負っているような人たちには見えないということだ。そして、皆とてもフレンドリーで、温和な人ばかりである。また、彼らを支えるコーチの方々にも感銘を受けた。選手をまとめるだけではなく、精神面や健康面にも気遣ったりと、大変な仕事であるにも関わらず、誰もが絶えず笑顔で、心から楽しんでいるように見えた。

 大学生の1年間の3分の1は休みである。この自由な時間をいかに充実させるか。これが休暇中の大学生に与えられた課題なのだとしたら、私の春休みは誰よりも充実し、生涯思い出に残る、課題を200%全うした最高のものとなった。

(文/堀尾美幸:アスリート勝又由貴さんの従妹)

 

▲カナダからのアスリートにアドバイス
(堀尾さんと勝又さんは家を行き来したり、携帯の着メロサイトの話題で盛り上がったりする仲。由貴さんは、1人暮らしをしている美幸さんに、勉強や家事のことで「大丈夫?」と、いつも心配してくれる優しい従姉だそうです)

 

 

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≪ボランティア体験記:選手団サービスA≫

 私の仕事は、DAL(Delegation Assistant Liaison)という選手団サポートの通訳で、アサインされたのはマン島(英国とアイルランドの間にある人口7万人の小さな島国)フロアホッケー競技付 き、18人の選手団の通訳兼添乗員のような役割です。成田での出迎え、富士見町でのホストタウンプログラム、そして長野入りして開会式、ディビジョニング、予選と続くスケジュールの中で、文字通りアスリートと寝食を共にした一週間、楽しさと忙しさ(も勿論ありました)であっという間でした。

 何より嬉しかったのはアスリート達が毎日を楽しく元気に過ごしてくれたことです。特にホストタウンでは、コーチが標的となった雪合戦、5分間百円のマッ サージチェア、そして極めつけは雪見の露天風呂つき温泉と、全く初めての体験に大騒ぎしていたのがとても印象的でした。

 私にとっては初めてのSO現場、初めてのSO大会、しかもアスリートと一週間の同行、と初めてずくしのボランティア体験となりましたが、これまでにない楽しい毎日で、後半担当のボランティアの方に引き継ぐのが名残惜しい思いの一週間でした。また会いましょう!

(文/広報委員:公楽真一)

▲マン島からの選手団に囲まれて

 

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≪スペシャルオリンピックス(SO)タウン≫

 Let’s Celebrate Together!! アスリートもファミリーもボランティアも地元の皆さんもみ〜んなで楽しもう!!をテーマに長野市内4ヶ所、山ノ内町、白馬村、野沢温泉各1ヶ所の競技場を中心とした地域にオープンした、スペシャルオリンピックスタウン(SOタウン)。

 SOタウンは、競技会の緊張からちょっとリラックスし、身体を動かしたり、世界から来る仲間や地元の方々と交流し、たくさんの想い出を作る場として、2月25日〜3月5日までの9日間(場所によっては4日まで)約4万人の方々にお越しいただきました。

 ゲームや工作を真剣なまなざしで行ったり、ダンスタイムでは汗をかきながら一生懸命行うアスリート、日本の文化芸術に深い関心を寄せる海外のファミリー、 言葉の壁を乗り越えて身振り手振りで交流を図るボランティア、タウンで感動の再会をはたしたホストファミリーとアスリートなど、競技会場同様毎日活気と笑 顔と感動が溢れるタウンでした。

 SOタウンで体験したさまざまな出来事が、この冬季世界大会の大切な思い出の一つとして、アスリート・ファミリ―、地域の方々、ボランティア、スタッフ全ての人達の心に刻まれていくことを願っています。

(文/広報委員:渡辺 竜雄/SOタウン・長野 アミューズメントプラザ会場責任者)

▲長野朝日放送が生番組で放送
  in アミューズメントプラザ
▲SOタウン交流会 in 山ノ内町

 

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≪体験・交流プログラム〜ようこそ!ゆめのたまご村へ〜≫

 227日、長野県牟礼村のいいづなリゾートスキー場で「体験・交流プログラム」が開催され、SON東京から総勢65名が参加しました。このプログラムは別名「ゆめのたまご村」、その名の通りこの体験をきっかけに世界大会を目指そう!というもの。

 アルペンスキー・クロスカントリー・スノーシューイング・スノーボード・雪遊びと5つの競技には有森裕子さん、荻原次晴さん、岩崎恭子さんをはじめ8名の著名選手や各地域・団体・企業からボランティアの応援もあり、アスリート達は初めて挑戦する雪上競技を笑顔で楽しみました。

 思いっきり身体を動かした後には、和太鼓を聞きながら牟礼村の方々が準備して下さった豚汁やカレーライスなどをいただき大満足の一日になりました。

SO日本・東京 から 
「ゆめのたまご村」へ
運営委員長
田川正一氏
「豚汁も カレーライスも おいしいね!」

(アルペンスキー)
初めて板をつけてまずは
一歩一歩斜面を のぼる練習
(クロスカントリー)
荻原次晴チーフトレーナーの
誘導でみんな上達もはやい!
(スノーシューイング)
練習後にチームに分かれて
競争!熱がはいりました。

(スノーボード)
バランスがとれるまで
ボランティアコーチがしっかり
支えてくました。
( 雪遊び)
ボランティアと一緒に
雪だるま作りに挑戦
有森裕子さんと楽しんだ
スノーシューイング。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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≪ファミリーの応援記≫

 SON東京からは8名のアスリートが世界大会に出場しましたが、そのファミリーはもちろん、日ごろ一緒に練習をしてきたアスリートや知り合いのファミリーも応援に駆けつけて、たくさんの声援を送りました。3月2日には、SON長野主催で開かれた「ファミリー交流会」にも参加しました。出場した3種目(スノーシューイング、スピードスケート、アルペンスキー)の応援のファミリーにうかがいました。

 

「よくがんばったな! 石井良英さんの父:弘祐さん。
 スノーシューイング400m決勝。スタートで出遅れた良英さん。コーナーで「抜いてけー!」と声援を送る父の声に気づいて猛然とスパート、5人を抜いて 1着に。「ゴール地点は見えなかったのですが、『ゴール前でかわして、金メダルかも…』とコーチに教えていただき、感動しました!」

 

「世界大会はすごい 大会の雰囲気はわくわくすると本人」 岡村祐則さんの母:ちよさん。
 祐則さんは昨年12月から体調を壊して、1月の合宿にも参加できなかった。スケート靴も合ったのは12月。「日ごろ練習するリンクはスピード用の靴が使用できないのですが、普段の練習の大切さを感じました。本人は333mでメダルをとりたいと言っていました。世界大会のプレッシャーが心配でしたが、競技を終えた後、いい顔をしていたのでホッとしました。本人も『世界大会はすごい』と言っていますし、参加できてよかったと思います。私はまたとない機会ですので、フィギュアスケートやフロアホッケーの競技も見てきました。時間が経つと、いい経験になっていることがわかりますね」

祐則さんは今年度最後のスピードスケートのプログラムを終え、「上海大会にはバスケットで出場したい」と張り切っているそうです。

 

「競技ではドキドキ、表彰ではクタクタでした」 金子慎吾さんの父:登喜雄さん
 「わが子の競技終了までの緊張、ドキドキ。表彰までの長い待機でクタクタ。終わってみたら、思い出いっぱいのWG。アスリートの努力とボランティアに感謝です」。

 

               

▲「山之内町・ファミリーラウンジ」でボランティアを      ▲SOタウン(内町)でSON東京の
されたSON東京のファミリーの皆さん右より)と       ファミリーの皆さんと(左上が金子
登喜雄さん) 
アスリートの白岩省吾さん、野崎日奈子さん

▲メイン・ファミリー・センター(長野市内)


  アルペンスキーの会場・志賀高原一の瀬ファミリースキー場は長野市内からバスで1時間20分ほど。金子さんは体験プログラムを終えてから、朝一番のバスで 志賀高原へ。3月2日のファミリー交流会で再び長野市内へ。翌日また朝一番のバスでとんぼ返りして、慎吾さんの競技を応援。慎吾さんが出場した「中級」 は、表彰が最後のほう。いつ順番がくるかわからず、昼食もままならない…。「待つ」のがたいへんでした。慎吾さんとともにがんばりましたよね、お父さ ん!

(文/広報委員:清原 れい子)

 

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