2月・3月合併号: 冬の大会あれこれ東京のアスリートが冬のナショナルゲームに参加したのは1996年2月の宮城大会。えぼしスキー場でアルペンスキー(スケートは6月に福岡で開催)に挑戦しました。翌年のカナダ・トロントで開催された第6回冬季世界大会に、東京からアスリート2名コーチ2名が出場、凍ったオンタリオ湖に面した野外施設での閉会式の寒さは忘れられません。 翌年は日本で2度目の冬のオリンピックが長野で行なわれ、4つのルートで全国を廻った聖火リレーに、スポンサーの厚意でSOから8組のアスリートと伴奏者が、厳寒の信濃路を走りました。 2000年2月に第2回冬季ナショナルゲームが長野で開催され、東京から45名の選手団(アスリート27名)で参加しました。そして翌年のアラスカ大会には東京からアルペンスキーに3名、フィギュアスケート2名のアスリート、コーチ1名が出場。暖冬で雪崩が起きて道路が閉鎖、アリエスカスキー場での競技が1日できないハプニングもありましたが、アスリートたちは存分に練習の成果を発揮できました。この大会中に「次の第8回冬季大会が長野で」と決定(オーストリアのグラーツをおさえて)しました。 2004年2月末には第3回冬季ナショナルゲームが長野で開催。2度目の開催、そして翌年の世界大会開催を控え、競技にも運営にも力の入った大会でした。 2005年2月26日から3月6日まで「第8回冬季世界大会・長野」開催。開会式には皇太子殿下のご臨席を賜り、当時の小泉総理から開会宣言がなされたことは記憶に新しいことでしょう。選手団約2700名(日本選手団150名)、ボランティアは1万人を超える大きな大会となりました。アスリートの撮影隊「ビリーブクルー」が活動を開始したのもこのときから。 次の冬季ナショナルゲームは2008年3月初め山形市で開催。都道府県のほとんどで地区組織、あるいは準備委員会が活動を開始するようになり、参加選手団は約1000名(アスリート650名)を数えました。競技種目もスキー、スケート(スピード・フィギュア)、フロアホッケーのほか、クロスカントリー、スノーボード、スノーシューイングとなり、どの会場でも熱戦が繰り広げられました。 そして今年、「第9回の冬季世界大会・アイダホ」に日本からアスリート61名コーチ26名の選手団で出場、東京からはアルペンスキーに3名、スピードスケート1名、コーチ2名が参加し、メダルと共に世界のアスリートやボランティアと交流を深めて帰国しました。 それぞれの大会に出場できるアスリートの数は限られていますが、日常プログラムでは大勢のアスリートがボランティアと共に一生懸命、練習に励んでいます。SOにはディビジョニングニングという制度により、どんなレベルのアスリートにも出場のチャンスがあります。練習に参加して共に汗を流し、励まし支えてくれるボランティアをいつもお待ちしております。 (ボランティア 諏訪なほみ)
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